こどもとTRPG-2

こどもとTRPG-1 - 蒼き月の囁きの続きです。

学校の中を見ると、ようむいんしつのまどからあかりがもれています。


見つかったらたいへんです。


うら門をそーっとのりこえて、ようむいんしつから見えないように、こっそりかくれながら、校しゃのうらがわにあるいていきます。

ここまでが導入ということになります。
ただ、これも俺が一方的に話しているわけではなく、子供の呼吸や目配せ、表情から物語を「受け止めている」のを確認しながら進行しているので、子供たちは俺が「語った」とは思ってないはずです。
もうこの時点で子供たちは自分で物語の中を歩き始めているし、そこまで語られた自分の行動に納得*1しています。

そーっと。そーっと。


ぬきあしさしあしで校しゃのうらがわまできました。
外のかべにそって、木がくろぐろとした葉っぱをしげらせています。
校しゃのかべの窓は、中からカーテンがしめられているみたいです。
校しゃと木のあいだがまっくらなトンネルみたいに、おくへおくへとつづいています。


でも、少しおくのほうに、ぽつん、と赤いひかりが見えます。
なんでしょう。


ここではじめて俺は子供たちに「どうする?」と聞きます。
もう子供たちは目をきらきらさせながら、他の子の顔色を伺いながら、ひそひそ声で「どうする?どうする?」と相談を始めています。


でもこれは、実は相談ではありません。


これは「ぼうけん」なのだから、「こわいけどさきにすすむ」に決まっているのです。
いまやっていることは単に相互の意思確認。
これからおこるであろう恐怖に立ち向かうための、仲間の確認*2です。


次に俺は「誰から?」と聞きます。
一番大きい子がためらいがちに、「わっちゃんから」と言いました。
「次は?」というと、今度は争って「けんちゃん」「てんちゃん」と言い出し、こそこそと何度か目線を交換した後に、「てんちゃん」「けんちゃん」の順に決まったようです。

わっちゃんは、ちょっとこわいけど、ゆうきをだして先にすすむことにしました。
次にてんちゃん、それからけんちゃんがつづきます。


わっちゃんが一ぽふみ出すと、あしもとではっぱがかさり、となりました。
すこし土のにおいと木のにおい、つめたい空きのにおいがします。
かぜで木のはっぱがゆれて、ざざっ、ざざざざっ、と言いました。


わっちゃんは、ごくり、とつばをのんでから、もういっぽ、もういっぽと木のトンネルへとすすんで行きます。

子供たちの判断は一人称で、ただし語りは聞きなれた第三者視点で。
子供たちの内心も、きちんと読み取って言葉に落としていきます。
決まったこともしつこいほど繰り返して、描写落ちがないように。


このタイミングで香りや音を表現したのは、最初の判断時に怖がらせすぎると、「行かない」という判断が出てしまうためです。
決断を促すには「暗いトンネルのようなところへ入っていく」という情報で十分です。
そして「行く」という結論先にありきで、覚悟した物事に対してディテールをつけてやります。


ここで「やっぱりいかない!」と言い出すのは、かなり賢くなってしまった証拠です。
自分の決意と仲間との合意は「決定事項」であり、それがどんな前提条件でなされたかを「思い出して再判定」してしまったら、物語の神話性は揺らぎます。




どうでしょう。
話そのものはかなり長いので、途中ははしょってもう二回ぐらい書くつもりですが、すでにここまでで、TRPGと物語について、いろいろ考えるべきことが出てきていると思います。



人はなぜ物語を求めるのか。
子供と大人で何が違うのか。
人は物語に何を求めるのか。



みなさんは、どう思われますか?

*1:ここでキーワードがひとつ。

*2:キーワードふたつ目