こどもとTRPG-4

こどもとTRPG-1 - 蒼き月の囁き
こどもとTRPG-2 - 蒼き月の囁き
こどもとTRPG-3 - 蒼き月の囁き
前回、子供達が押し合いへし合いを始めたところまで書きました。


三階の部屋の中はもう完全に木造の古い時計塔として描写します。
幽霊のような影や機械仕掛けの不気味さで、カタストロフに向かって世界を描き出して行きます。
「最後の判断」を提示し、わっちゃんが選択するとその場からいなくなります。
・・・この段階ではその選択の結果は描写しません。


ところがかっちゃんとあまちゃんが選択できなくなってしまいました。
結果がわからなくて、選べないで5分ぐらいぐずぐずしているうちに、電車が駅につくアナウンスが流れてしまいます。
作り上げられていた「場」が一気に霧散して行きます。



・・・ああ、失敗した(笑)



最後、選択を長引かせたときは、なにか後ろから「追いたて」を入れるべきでした。



わっちゃんは
「えー、さいごどうなるの?どうなるの?」
と言いますが、ここは物語の摂理を曲げるわけにはいきません。
「さあ?どうなるのかな?
 わからなかったねぇー」
と、無理に片付けることはしませんでした。
かっちゃんとあまちゃんは涙目ですw


まあでも、楽しいのはみんな楽しかったようで、「あのあとどうなるのかな?」とか「またやりたいよね」とか、終わらない物語として心に残すことはできたので、これはこれでよしとしておきます。





さて、ここで問題です。


俺はこの記事を「テーブルトーク」「マスタリング」とタグをつけています。
でもこれってTRPGでしょうか。「ゲーム」なんでしょうかね。
どうなんだろう。


TRPGのルールも、もちろんサイコロも、何も使っていません。
いわゆる「吟遊詩人マスター」という類型でもない(と思うんですがw)。
でも俺のやっている「マスタリング」は、究極的にはこういう形です。



「口頭・対面で作り上げる物語」という切り口でネットを検索したり、うちのプレイヤーと議論したりして、やはり「口承文芸」にカテゴライズするのがいいのかも、と思ったりもします。

http://www2j.biglobe.ne.jp/~minwa/genron.htm
この前後の形式句で示される昔話は、「昔語り」と呼ばれる、非日常会話的な抑揚とまをもって語られる。一方、これを聞く聞き手は、語り手の語りに応じてあいづちを打ち、話の内容を納得し承認していることを語り手に告げて、次への展開をうながす。また、「はなし」の聞き手 は、あいづちの代わりに哄笑や半畳を入れるなどして、話を楽しんだり、けなしたりする。いずれにせよ、聞き手は、一方的に昔話を承るのではなくて、昔話の成立に参加している。語り手は気ままに物語るのではなく、聞き手の反応によって方向づけられ修正される。
従って、口承文芸たる昔話は語り手が聞き手に語るたびごとに成立する一回性の文芸であり、またその伝承の場で次の世代に迎えられるようにつねに新生しつづけるものである。昔話が時代とともに変化し、長い生命を保ってきたのは、このような、伝承の場における語り手と聞き手の再創造的構造にもとづくものといえる。
稲田浩二・京都女子大名誉教授の日本昔話原論講)


口承文芸の快感」というものがおそらくある。
ただこれを現代の大人が味わうというのは、なかなか難しい。
なぜなのか。
そして果たして自分がやりたいこととプレイヤーが期待していることがどうマッチするのか。
そのあたりの考察も絡めながら、そのうちつれづれ書こうかな。

調査とか

口承文芸TRPGで検索して、同じコトを考えている人たちをピックアップ。
ウはウルティマのウ:テーブルトークとかいうもの - livedoor Blog(ブログ)
2008-09-02 - 月鎌/Fの中のMの中のF
id:ggnicさんの昔のブログにもちらっと書いてあった気がするけど見つけられなかった。
TRPG界隈の議論に目を通さないから、「そこは我々が20年前に通過した場所だ。」とか言われちゃいそうですw