コロナ、似非科学、宗教。限定された科学より安心は大事かもしれない話。

コロナで似非科学的な情報がとても支持されたり、それを批判する人たちも感情的であったり。

批判は感情的でなくても、前提条件が「彼らは変わるべき」であったり。

もちろん空間除菌とかが自分の住環境や税金の使い道に関わってこられたら「ろくでもない」と思うわけです。

 

けど。

 

その自分の心的な動き(あえて知性とは言わない)に果たして何の価値があるの?ということをよく考えます。

 

相手を「非科学的だ」と批判するのは簡単ですが、その批判は本当に「科学的」かな?

 

「安心したい。思考量を減らしたい。」

安心したいと思う傾向の人は、こうは言いませんよね。

安心したいと思っている自分を客観視してしまったら、安心できない。

従って、安心したいという化学的・生物学的反応が起こった場合、客観視するような反応は抑制される。

(し、そもそも客観視するような回路を構築する生物的コストは高い)。

 

何が科学的な対処かについては、計算/予測できる情報量には限度があるので、

「範囲」を限定したうえで、その範囲内の、いまそこにいる個体、ある一定領域の群体、それを維持している社会。

その維持に対して「維持するコストが高くなる」という計算/予測はできる。

 

でもより弱い個体が淘汰されたほうが、とか、免疫獲得能力の柔軟性の高い遺伝子が選別されるとか、1万年後の人間(もしくはその進化系にある後継情報)と生存圏がどちらのほうが優位か、など100年以上のオーダーの話は議論されないし予測できない。

 

人間は知性の発達で平均寿命を延ばしてきた。でもたかだか100世代で+50年。
3000年程度のスケールは種としての存続で優位を得てるとは言えないので、3億年存続してるゴキブリのほうが優れているよねということになる。

 

人間の独自性としては、やろうと思えば地球上の他の生命を自分と共にすべて消せることで、これは他の生命はやるという思考に至らないので突出した特徴。

思考が存在するのかどうかという疑義は横に置く。

 

地球外に向けて意図的に拡散しようというのも、試行錯誤で試みている(ちょっと心折れてるけど)。
ただ宇宙に向かって種や情報を放出するような生命はすでにあって、それを認識できてないだけかもしれない。

 

それを言いだすと、生命を優位と見なすのもどうなのという話なんだけど、そもそも価値とは予測なので、「存続」するという前提を崩すと話そのものが価値=意味を失う。

なので生命=情報パターンの維持、というのは思考するうえですべてに優先するという前提で組むことにしています。

 

最初の話に戻ると「思考せず安心したい」というのが人間・生物に組み込まれた「膨大な世代交代でテストされた適応回路」だとすれば、1億年オーダーの存続を優先した場合、そっちが優位の可能性があるよ?

と言う話です。

 

科学的に考えるのであれば、

1.「安心したい回路」の憶年オーダーの性能評価がいる。

2.強い「安心したい回路」を搭載している人(=モノ)に対して「回路を除去/破壊/動作停止し、理解(予測回路の埋め込み/不安に対する耐性追加)することが可能だ」という前提に基づいた思考が非化学的(虐待的)。

な気がする。

 

もちろん暗黙の了解というやつが前段にあって、科学的、というのは自由意思信仰(もしくは社会的契約)を前提とした、「限定的な科学的」、つまり信仰ですよね。

無限の計算はできない、という諦めも科学だ。

 

アッ、ハイ。

 

 

まあ自由意思を前提にしないと、責任を伴った個人の自由と言うのは残酷な虐待なんじゃないの、という話を通じて、社会システムが先祖返りを起こしていく。

人権や自由意思については歴史的に発生した悲劇(と大多数の共感で解釈されるもの)を防止するための仕組みと個々の生存戦略の闘争の結果として今があるので、これもアップデートされてどうなっていくのかわかりませんね。

個人的には人間の幸せが他者との比較による相対的なものな気がしていて、それは変化しながら継続するという生物の特性から避けようがなく、「騙されることを知らずに騙される」のが幸せ、いうディストピア的な結論になる可能性が高いと考えています。

このあたりもそのうち科学的に証明…されてくるのかなどうかな。実験そのものが人道に関わりますが、人間の反応を完全にエミュレートできるAIとかできれば可能ですね。その場合そのAIに人権上げたほうが良いと思いますけど。自分たちがAIかもしれませんしね。

 

この思考に落としどころがあるわけではなくて、結果として自分が/自分の生きている社会が/限定的に予測できる範囲で被害を受けたくないので、その範囲の最適解として

「俺の意見の方がより現在の社会基盤に合致している」

というお墨付きを元に、害となる思考/集団/人を殲滅すべく、できることをできるようにやる、というなんともあたりまえの話になります。

 

「考えても仕方がない」っていう言葉が、30歳ぐらいまでは、こういう覚悟の話だというのがわかりませんでしたね。

 みんなこう考えてるのかどうかわからないけど、結論が同じになるなら、考えないほうが優れている回路(暗黙の了解/ショートカットの回路)だよね。

 

 

適者生存・変化=課題=悩み=不幸とその解決、と言う行動のサイクルそのものが生命なので、不幸が無くなることはけしてなく、拡散したい安心したいという衝動に突き動かされてそこら中ぶつかりながら進むということなんだろうけど、苦しいですね。

 

楽しく生きていますけど。