純粋TRPGの話-D&Dと不思議の国のアリスと原初的な物語体験-

「〇〇はTRPGじゃない」

TRPGとは〇〇なゲームだ」

ま、古強者は聞き飽きて適度にいなしたり、「うんうんそれもまたTRPGだよね」とかそういう雑な(実は真摯な)応答になりがちですけども、はるをさんの

に触発されて、ちょっと記事を書いてみる。


まず私の「TRPGとは」については

やってみたいと思ってる人に説明するときの
TRPGっていうのは〇〇するゲームで」って
「相手が混乱しない、もっとも短い説明」

が、その瞬間のTRPGの定義だという立場です。

 

「いろいろな種類があって」とか「こういうケースもあって」とか「珍しいものだとこういうのも」とか、全部余分。

相手を混乱させるだけなので。

 

例えば「この動画みたいなの」とかで十分。

そこから入った人が他のTRPGに対して「そんなのTRPGじゃないでしょw」という発言もOK。

学習過程が違うんだから、そこで怒ってもしゃーない。

 

用語が定義されていないと不便という向きにおいては、
「世の中で遊ばれる時間の80%で共通しているものがTRPGコア要素
でいいんじゃないですかね。

要するに、ルールがあって、マスターがいて、複数のプレイヤーが参加して各自のキャラクターを持っていて、戦闘があって、ダイスで判定をする。

物語の始まりがあり、終わりがある。

これらはなくてもいいけど、多くの(というのはルールの数ではなく、プレイ時間シェアで図る)ケースでまだ今は共通でしょう。

 

ソロTRPG?ダイスを使わない?GMレス?ルールレス?ハンドアウトあり?プレイヤーが1キャラクターを担当しない?

戦闘ではなく交渉?恋愛?なりきり?演技?遊びじゃない?リアル肉弾戦?

 

おう、なんでもこい!

 

別に演劇は全部TRPGだ、とか
読書体験はTRPGである、とか
人生はTRPGだ、とかいいだしてもいいけど、
言葉というのは相互理解のためにあるので、より通じやすい言葉を選択するのが適切だとは思います。

 


さて、その上で。

 


成立過程に対する考察とか、自分の体験したことと対策を通じた視点というのは少し書く意味があるかもしれないな、と思いました。

 

D&Dの成立過程から言えばガイギャックスとチェインメイルあたりの話で、ウォーゲームのユニットを個人レベルに落としたと語られるみたいですけど、
それがなければTRPGは存在しなかったか と言えば、
そんなこともないんじゃないかなとは思います。

 

不思議の国のアリスルイス・キャロルがアリス・リデルに即興でつくって聞かせた物語がもとになっているといいますけど、キャロルはひとりでべらべらと話してただけなんですかね。

私には何となく、ボートを漕ぎながら
「うーん、そうだな…
 机の上に小瓶があるよ? おいしそうな飲み物が入ってる。

 アリス、どうする?」
と言っているキャロルが目に浮かぶんですよね。

 

実際にアリスがどれぐらい細かく応答していたかはともかくとして、即興の話を相手に聞かせるときは、相手の表情や反応を伺って内容を調整しますし、小さな子供が自分が主人公として語ってくれる語り手に「ぼくは〇〇する!」って興奮して言うのを、俺は自分の子供達相手に知っています。

 

そしてそのとき、子供たちの目には、本当にその世界が映っています。

冒険に顔は上気し、握りこぶしには力が入り、困った時には指を噛み、危険な描写には身を竦め、悲しい話には涙を流します。

 

 

さて、ウォーゲームの駒を個人レベルに落としたという話とこの話、どちらがいまのTRPGに近いか、というと…

私は「ある条件に対する結果的な折衷案」だと感じます。

 

こどもがインタラクティブな即興譚をやって、何を楽しむかと言えば、
世界が自分の行動でどんどん変わっていくことなんですけど、
ここにはいくつかルールがあって、
① 身近さと驚きと不思議。
② 頭脳的な活動ではなく、身体的な活動描写。
です。

これらを意識して、というよりも、こどもの身体に力が入る話をしようとすると、自然とそうなります。

 

複数人相手にこれを行う場合…

意識して描写量を均等にし、各自の判断(と、リーダー適正などを見ながら)を引き出す質問をしていかないと、楽しさが一部のこどもに集中してしまいます。

他の子もつまらないということもないんですけど、意思決定の配分が偏り過ぎるとやっぱりテンションは上がり切らなくて難しい。

 

ただ、一人に対して即興譚をやった時と、複数人のパーティーに対してやったときは、入り込んだ時の最大深度が違います。

「なかま」と「どうする?どうする?」って困難に対して立ち向かう相談をする表情は真剣で、目はきらきらしていて、「自分たち」がここを突破するんだ、危機を乗り越えるんだ、というモードになった時の小集団は、非常に高い熱量を持ちます。

特に自分の判断で事態が好転したときは、仲間に「有能」であることを認められ、単独では感じられない喜びを得ているのもわかります。

 

 

ところが。

成長に従って、これを邪魔する要素が出てきます。

① 経験とそれに伴う予測
② 「これは『おはなし』」であるという、現実に対する解像度
③ 社会性という「仮面」

です。

 

おそらくですけど、こどもって、ほとんど周りが見えていないし聞こえていないんですよ。

それが成長するにしたがって、視界は広く、クリアに、耳は意味のある音を拾うように、予測する未来は長く分岐は多くなっていく。

 

目の前に置かれた事象に対する予測が正確になるにつれて、
妥当な結果であれば驚きは少なく、
妥当性のない結果であれば作り物感が強く、

──つまりリアリティラインの上昇によって、不思議を楽しめるレベルが低くなっていきます。

 

「いや、俺は不思議を楽しめている」という方はおめでとうございます。

自分が3歳、5歳の頃よりも遊びによってアドレナリンが出ているという方は、本当に幸せだと思います。

 

また、小さい子供の集団は本当にひとつの生物のような、集団から弾かれることが死の宣告になるような一体性がありますが、少なくとも現代社会では大人になるにつれて他者との距離を測ることを強いられます。

一体でなくなった他者の意向を諮らずに「本当の望み」を口にすることは、社会の分断になるので抑制する必要があります。

 

 

TRPGの全てとは言いませんけど、私はこうした子供が示す素直な喜びが、
TRPGという遊びが生み出されてきた本質的な理由じゃないかな?と思うわけです。

 

 

さて、大人になるにつれて減少するこれらの楽しさを補う手段があります。

 

ひとつはサイコロ、カード…遊びの4要素のひとつ「偶然」、つまり乱数です。

現実でありながら予測困難。

かつ予測バイアスによって、実際の確率よりもはるかにデフォルメされた「意外性の快感」をもたらしてくれます。

 

ふたつめは解像度が上がることによるメリットとして、遊びの4要素の「模倣」、実際の戦闘をシミュレートする解像度を上げる快感、のような楽しみも見出せます。

 

みっつめとして、「他者を演じるというルール」によって、赦されないはずの「望み」をかりそめに口にする、実行するという楽しみ。

現実の仮面の上に虚構の仮面を被ることで、衆目にそれを(すべてではなくとも一部を)晒す、束縛からの解放感。

 

さて、プリミティブな即興譚の楽しみは、多くの人の中にあるけれど、成長するにつれて失われてしまいます。

なんとかしてそれを取り戻そうと「こうしたら楽しい」をいろいろ、ゲームの側、物語の側それぞれが模索すると、回答として

「キャラクター」で没入性を保証し、

「ランダム性」でリアリティラインの衝突をやわらげ、快感を補強し、

「ゲームターム」で認識のすり合わせをやりやすする、

みたいな、いまの主たる形式が出来てくる。

 

TRPGがウォーゲームからの発展、というのは歴史上のクローズアップとしては「擦り合わせの接点としてそうした局面が来るのは必然」だったからで、ウォーゲームから派生しなくても、即興譚・口承文芸からも何らかのルートで似たようなものができてたんじゃないかな?とは感じています。

 

いろいろ書いてみましたが、個人的には、この幼少期のプリミティブな快感をなるべく落とさない遊びができないかな?と模索しているという話です。

 

どっとはらい

 

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オフセでプロジェクターとかUSBタッチパネルを使ってみたあれこれ

オフセでプロジェクターを使ってみたいという人がいたので、以前の記事に続けて、実際にやってみたことと感想などを羅列してみます。

まず、プロジェクターを毎回セットするというのはそこそこの手間なので、次の3つのどれが選択できるかで、やれることは相当変わると思います。

1.自宅に大きなテーブルがあって、毎回そこでセッション出来る。
 この場合、私なら天井に設置して机に投影、を試すと思いますが、できていません。

2.移動が車で荷物の多さは気にならない
 この場合、私なら折り畳み式の物干し台みたいなので工夫して簡易的に吊り下げて机に投影、を試すと思いますが、できていません。
 プラス、暗幕みたいなものも用意すると思います。遮光のレベルで結構ストレスが違います。

3.移動が徒歩/電車/自転車
 私はこれなので、せいぜい大き目のバッグ二つぐらいが限界でした。
 なので私のアドバイスは基本的にこの状況の人向けです。

 

「なんのためにプロジェクターを使うのか」

基本はスクエア/ヘクス戦闘を想定したタクティカルMAP共有だと思います。
で、いいんですかね? 笑

凝ったことをするのであれば光源判定とか、MAPマスクでしょうか。
いずれにしてもアナログな紙のMAPを机に置いたり、ホワイトボードに書いたりすると限度があるのは確かです。

マスターがPCを持参するのは自分のことなので問題ないのですが、参加プレイヤー全員にそれを義務化するのは難しい。

 

選択肢は以下の5つのいずれかでしょうか。

  1. 全員がモバイルノートを持参している
  2. 全員が少なくとも十分な大きさのスマホ(できればタブレット)を持参している
  3. プレイヤー側向けに入力用端末を1台用意する。
  4. プレイヤーの宣言でユニットをマスターが動かす。
  5. ホワイトボードに映し、ユニットをマグネットで表す。

マスターが全員分の入力端末を用意するのも自宅/車だと使える手ですが、ようするに1と2です。


■1.全員がモバイルノートを持参している

そもそもプロジェクターはいらないとも言えます。全員各自の画面を見ればいいので。
ただし、アナログな認識共有は、壁やテーブルに映したMAPをみんなで見て、指さしたりして確認したほうが速いし、場としての一体感があります。

私は下記のようにセッティングしていました。

壁  PL PL PL
壁映\机机机机机机
壁映 >プ机机机机GM
壁映/机机机机机机
壁  PL PL PL

このケースでは使用できるツールにほぼ制限がありませんが、モバイル通信環境が問題になることがあります。
通信速度の遅いプレイヤーがいると厳しい。
速い人のテザリングに乗っかっちゃったほうがよかったり。

壁に映すのでMAPの「高さ」の概念が出しにくいです。
机に映した場合、物を積むことで高さの概念が出せるのが凄い有利ですよね。やりたい。

MAPをくっきり写すために照明を落とすなら、キャラシートもダイスロールも、ツールに頼ってしまったほうがいいかもしれません。
紙のシートとダイスが見えにくいです。

照明も落とさずに、状況共有のためだけにプロジェクターを使うだけでも場の一体感が出るメリットはあります。


■2.全員が少なくとも十分な大きさのスマホ(できればタブレット)を持参している

1に比べてブラウザベースが基本になるので、使えるツールに制限が出ます。
自キャラの移動はスマホ、戦場全体の俯瞰はプロジェクター、というバランスになります。
目がスマホとプロジェクターを行き来して、少し疲れる。
自キャラ以外も動かせるツールだと、「誤って他人のユニットを動かしてしまう」事故が増えます。
広いMAPだとピンチ操作で自分のユニット見失いがち。


■3.プレイヤー側向けに入力用端末を1台用意する。

移動イニシアチブのあるゲームだと、やれなくはないです。
移動順に端末を回していくとか、コーラー立てて入力を代理でやるとか。
ただ、待ちが発生するので、オフセ対面でやる速度向上と、オンセで個別にユニット動かせる柔軟性のトレードオフみたいな感じで、メリットの2/3打ち消す感じ。
PCやNPCのノックバックのあるようなゲームだと、結局マスターが動かすことになって、次のマスターが代替するパターンになりがち。

 

■4.プレイヤーの宣言でユニットをマスターが動かす。

マスターの負荷が高いです。
あと、どうしてもPCがプレイヤーから離れた感じになって、マスター一人劇場とかマスターが小間使いみたいな空気感。
移動ミスとかないけど、あまりお勧めできません。


■5.ホワイトボードに映し、ユニットをマグネットで表す。

うちが最終的に落ち着いたのはこの形でした。

100円Shopの切れるタイプのカラーマグネットシート買って、5cm×5cmぐらいの■に切ってマジックで大きく番号書きます。
会場のセットアップにもよるけど、席から画面まで距離あるので、ユニット小さいと見えないです。
PC黄色、敵は赤、NPC緑、とか。書くのはPC名でもいいけど、太く書かないと見えないので5文字ぐらい。
図形の方が区別尽きます。うちはルーンクエストなので、キャラクターのルーン書いてた。

 

PCの移動は画面に近い人がコーラーみたいにやるもよし、みんなで立ち上がってわいわいやるもよしです。

 

敵やNPCはマスターがツール上で動かして、PCだけマグネットという方法と、MAPだけ写して敵もマグネットという方法があります。

敵をツール上で扱う場合、PCがいないので、マスターがホワイトボードと見比べるのがちょっとストレス。
敵ユニットが10以上いるときとか、移動とか楽なんですけどね。
これは戦闘の規模とか気分でどちらでもいいと思います。

 

一部のPCだけツール上、一部だけマグネットはイマイチ。PC間で温度差出ます。

 

 

ということで2015~2018ぐらいで、たぶん40セッションぐらい、いろいろ試した結果です。
セットアップに疲れるのと、プレイヤーの高齢化でガチガチのタクティカルに耐えられなくなってきたのもあって(笑)、3年目ぐらいからはここぞという時だけしか使わなくなっていました。


2019年からは15インチ外付けタッチパネル付きモニタをマップの代わりにテーブル中央に置くとかの実験もしていますが、プレイヤーが4人以上で離れて座る環境だとやはり見えません。立つことになります。

どちらかというと、マスタースクリーンとして立てて、風景とかを写したほうが役に立つw

 

そこにコロナが来たので、もう2年近くオフセできてないので、研究も頓挫しています。


いまなら値段も重量も落ちたので、タブレットをマスターが人数分用意する、とかのほうがいいかもしれません。
ただ「ひとつの画面をみんなで見る」のは、個別に見るよりも間違いなく一体感はでます。

 

アメリカの映像であるみたいに、天井から卓上に向けてMAPを写すのが最強だと確信はしてるんですが、車買う予定はないので無理かなー。

 

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とりあえず書きなぐりなのでこんなところでしょうか。
気になることとかあれば質問してくれれば答えます!

 

Roll20ならこう、とかココフォリアならこう、とか、どどんとふがタブレットで使えない、とか、ツールによる動作もいろいろあるんだけど、もう3年前なので訊かれないと細かく思い出せない…

 

いまはボイセできないメンバーが多いので、Googleスプレッドシートで自作した「スプレッドチャット」をメインに使ってます。
テキストチャットのシステムとしてはなかなか優れものなんですけど、広く公開するためにヘルプを書く気力が出ない。
もし使いたいという人がいたら気合入れますので、声をかけてくださいw

コロナ、似非科学、宗教。限定された科学より安心は大事かもしれない話。

コロナで似非科学的な情報がとても支持されたり、それを批判する人たちも感情的であったり。

批判は感情的でなくても、前提条件が「彼らは変わるべき」であったり。

もちろん空間除菌とかが自分の住環境や税金の使い道に関わってこられたら「ろくでもない」と思うわけです。

 

けど。

 

その自分の心的な動き(あえて知性とは言わない)に果たして何の価値があるの?ということをよく考えます。

 

相手を「非科学的だ」と批判するのは簡単ですが、その批判は本当に「科学的」かな?

 

「安心したい。思考量を減らしたい。」

安心したいと思う傾向の人は、こうは言いませんよね。

安心したいと思っている自分を客観視してしまったら、安心できない。

従って、安心したいという化学的・生物学的反応が起こった場合、客観視するような反応は抑制される。

(し、そもそも客観視するような回路を構築する生物的コストは高い)。

 

何が科学的な対処かについては、計算/予測できる情報量には限度があるので、

「範囲」を限定したうえで、その範囲内の、いまそこにいる個体、ある一定領域の群体、それを維持している社会。

その維持に対して「維持するコストが高くなる」という計算/予測はできる。

 

でもより弱い個体が淘汰されたほうが、とか、免疫獲得能力の柔軟性の高い遺伝子が選別されるとか、1万年後の人間(もしくはその進化系にある後継情報)と生存圏がどちらのほうが優位か、など100年以上のオーダーの話は議論されないし予測できない。

 

人間は知性の発達で平均寿命を延ばしてきた。でもたかだか100世代で+50年。
3000年程度のスケールは種としての存続で優位を得てるとは言えないので、3億年存続してるゴキブリのほうが優れているよねということになる。

 

人間の独自性としては、やろうと思えば地球上の他の生命を自分と共にすべて消せることで、これは他の生命はやるという思考に至らないので突出した特徴。

思考が存在するのかどうかという疑義は横に置く。

 

地球外に向けて意図的に拡散しようというのも、試行錯誤で試みている(ちょっと心折れてるけど)。
ただ宇宙に向かって種や情報を放出するような生命はすでにあって、それを認識できてないだけかもしれない。

 

それを言いだすと、生命を優位と見なすのもどうなのという話なんだけど、そもそも価値とは予測なので、「存続」するという前提を崩すと話そのものが価値=意味を失う。

なので生命=情報パターンの維持、というのは思考するうえですべてに優先するという前提で組むことにしています。

 

最初の話に戻ると「思考せず安心したい」というのが人間・生物に組み込まれた「膨大な世代交代でテストされた適応回路」だとすれば、1億年オーダーの存続を優先した場合、そっちが優位の可能性があるよ?

と言う話です。

 

科学的に考えるのであれば、

1.「安心したい回路」の憶年オーダーの性能評価がいる。

2.強い「安心したい回路」を搭載している人(=モノ)に対して「回路を除去/破壊/動作停止し、理解(予測回路の埋め込み/不安に対する耐性追加)することが可能だ」という前提に基づいた思考が非化学的(虐待的)。

な気がする。

 

もちろん暗黙の了解というやつが前段にあって、科学的、というのは自由意思信仰(もしくは社会的契約)を前提とした、「限定的な科学的」、つまり信仰ですよね。

無限の計算はできない、という諦めも科学だ。

 

アッ、ハイ。

 

 

まあ自由意思を前提にしないと、責任を伴った個人の自由と言うのは残酷な虐待なんじゃないの、という話を通じて、社会システムが先祖返りを起こしていく。

人権や自由意思については歴史的に発生した悲劇(と大多数の共感で解釈されるもの)を防止するための仕組みと個々の生存戦略の闘争の結果として今があるので、これもアップデートされてどうなっていくのかわかりませんね。

個人的には人間の幸せが他者との比較による相対的なものな気がしていて、それは変化しながら継続するという生物の特性から避けようがなく、「騙されることを知らずに騙される」のが幸せ、いうディストピア的な結論になる可能性が高いと考えています。

このあたりもそのうち科学的に証明…されてくるのかなどうかな。実験そのものが人道に関わりますが、人間の反応を完全にエミュレートできるAIとかできれば可能ですね。その場合そのAIに人権上げたほうが良いと思いますけど。自分たちがAIかもしれませんしね。

 

この思考に落としどころがあるわけではなくて、結果として自分が/自分の生きている社会が/限定的に予測できる範囲で被害を受けたくないので、その範囲の最適解として

「俺の意見の方がより現在の社会基盤に合致している」

というお墨付きを元に、害となる思考/集団/人を殲滅すべく、できることをできるようにやる、というなんともあたりまえの話になります。

 

「考えても仕方がない」っていう言葉が、30歳ぐらいまでは、こういう覚悟の話だというのがわかりませんでしたね。

 みんなこう考えてるのかどうかわからないけど、結論が同じになるなら、考えないほうが優れている回路(暗黙の了解/ショートカットの回路)だよね。

 

 

適者生存・変化=課題=悩み=不幸とその解決、と言う行動のサイクルそのものが生命なので、不幸が無くなることはけしてなく、拡散したい安心したいという衝動に突き動かされてそこら中ぶつかりながら進むということなんだろうけど、苦しいですね。

 

楽しく生きていますけど。

 

【クトゥルフ/ルーンクエスト】技能セットと成功度による簡易処理

ベーシックロールプレイングで課題に対する結果を簡単に描写したいときに使います。
5つの技能を組み合わせるため、各キャラクターがそれぞれの何が得意でどんな行動をしているのか、イメージが浮かびやすいのが特徴です。


マスターは課題の概要を描写します。
各PCは課題に対して使用する自分の技能を5つ決め、マスターに申請します。
これを「技能セット」と呼びます。
マスターは5つの技能が課題に対して有効であるとみなしたら「技能セット」を承認します。
課題に対して有効でさえあれば、キャラクターごとに技能の組み合わせが違うことになります。


課題に参加するPCは「技能セット」の5つの技能成功率の平均を成功率とみなしD100をロールします。
成功で+1、効果的成功で+2、決定的成功で+3の「成功度」を獲得できます。
失敗は0、ファンブルは-1D6となります。
技能の代わりに能力値をひとつ入れることもできます。
その場合、能力値を5倍してから平均を取ります。


マスターは成功度によってパーティーが獲得できる結果を提示します。

■技能セットの例

【戦闘(52+45+30+55+16*5)/5=52:片手剣攻撃52、盾受け45、回避30、ジャンプ55、SIZ16】
【狩猟(35+45+30+25+14*5)/5=41:追跡35、視力45、動物知識30、世界知識25、INT14】
【都市調査(60+20+50+30+17*5)/5=49:自国語60、人間知識20、雄弁50、言いくるめ30、APP17】
よくつかう技能セットをキャラクターシートに記入しておくと便利です。

■成功度の例

〇5vs5の戦闘、パーティーの合計値で評価

 5:大勝利。相手の全員を捕獲もしくは殺害。
 4:中勝利。相手の半分を捕獲もしくは殺害。
 3:小勝利。相手は撤退。
 2:引き分け。
 1:敗北
 マイナス:成功度の低い順にその人数が死亡。


 戦闘の場合、相手の成功度との差で評価する方法もあります。

〇狩猟

 6時間につき1ロール。1成功度で1人の1日分の食糧。

〇都市調査

 6時間につき1ロール。1成功度で1情報量。

〇生活労働

 1週間につき3ロール。1成功度で1週間分の生活費を稼げる。

〇【雪中行軍:CON×5、STR×5、世界知識、登はん、視力】

 脱出に5成功度必要。1ロールにつきトータルHPに1ダメージ。

■特別な修正

 このルールは簡便に処理をしたい場合に使用するため、こまかなこだわりはすべて無視します。
 例えば呪文を使えば攻撃成功率が上がるとしても、そうした補正はマスターが意図して指定しない限り適用しません。
 有限なリソースを消費するものであれば、マスターは成功率に修正を与えることがあります。

〇金銭の例

 1週間の生活費を支払えば都市調査に+25%。
 アシスタントを雇用(1週間の生活費)すれば生活労働に+25%

〇強力な装備の例

 最大ダメージが10を超える1点につき+1%。
 鎧の平均APが6を超える1点につき+2%。
 こうした修正を入れる場合、世の中の平均的な装備までは修正を入れません。

ルーンクエストの魔術の例

 神聖呪文:+10%/1ポイント
 精霊呪文・魔導呪文:+1%/消費MP
 同盟精霊等:+POW%
 マジックアイテム:同等の魔術の効果を援用。ただし使用すると敗北時に失うことがある。

■固定的な状況

 状況によっては5つの技能の1〜5個をマスターが指定したり、技能に補正をかけることもあります。
 【カルトへの奉仕:カルト技能から5つ】
 【夜間の狩猟:視力必須だが-50%】

■技能の成長

 技能セットの判定に成功すると、技能セットに含まれる任意の技能1つに経験チェックをつけるか、その行動に消費した時間に等しい訓練時間を得ることができます。
 ※訓練時間は複数の技能を合わせて週に30時間までしか獲得できません。

■その他メモ

〇このルールはPCが「課題に最善を尽くしている」のを前提としています。

 繰り返し判定するシチュエーションで、その度に技能を組み替えないで下さい。
 たとえ本人が「スムーズに処理できる」と言っても、進行の簡素化に反する行為はマスターが禁止しましょう。

〇ルールのキモは課題の難易度設定と消費リソースのバランスです。

 不慣れなうちは簡単すぎたり難しすぎたりするかもしれません。
 慣れると一瞬で計算できるようになるので、ミスを怖がらずバンバン使うとよいです。 

〇技能を5つ以外にするのはおすすめしません。

 状況や課題によらず常に5つというのがケースバイケースを排除し、進行をスムーズにします。
 足りなければ低い技能を無理にでも入れてキャラクターを立たせるのがおすすめです。

〇これはまりおんさんのつぶやきに反応して、ハウスルールから要約を抜粋したものです。

 詳細に興味のある方は、下記記事をどうぞ。
 https://www30.atwiki.jp/hazama/pages/1593.html

SSSS.グリッドマン最終戦闘の音ハメを分析してみる

SSSS.グリッドマン、面白かったですね。


完全に実写版とSNS考察ありきで、単純に物語の中に入り込んで楽しめたのかというと、自分でも切り分けられないんですけど。
まあ、シリーズもので前の視聴が前提の作りは今の時代普通なので、もう単体としての評価は難しいのかも。


さて、私は趣味でMADも作るんですけど、ストーリーMADにしてもダンスMADにしても曲のテンションに映像の展開を一致させるのが大好きです。
昨日のグリッドマン12話のラストバトルはまさにお手本だったので、少し分析してみます。
映像はamazonプライムで無料で見れますよ。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07M5HDFRS/ref=atv_dp_pb_core?autoplay=1&t=480

8:05 旧OP「夢のヒーロー」開始。
8:45 サビ入り前「飛びつのさ」の強いアクセントに合わせたアレクシスの踏み込み。
サビ入りでグリッドマンの踏み込み。
9:01 「明日のスージ」の強いアクセントに合わせた一撃。
12:00 ジャストからの新OP「UNION」開始。
12:19 「つくりもの」のアクセントでアレクシスの「フン?」
12:24 「ぼくらのエスオーエスが」のアクセントでフィクサービーム発射。「加速するー」で命中のキラキラ音。
13:15 「君を退屈から救いに来たんだ!」で裕太のアカネへの呼びかけ
13:58 アカネのドア開けに合わせて「目の前の僕らの世界は」の二番サビ入り。
14:16 「反旗を翻そう」に合わせてジェット噴射。
14:30 「星に願いをー」に合わせてトドメのパンチ命中。
14:30 その後の曲と合わせるため、パンチを天丼で当てて尺合わせ。
もちろん映像としてのお約束でもある。
14:40 アレクシス「これが…!」
歌詞「君と繋いだ」
アレクシス「限りある命の…」
歌詞「夢の」
アレクシス「力か…!」
歌詞「ゆにおーん」
14:43 ラスサビ入りと同時に世界の再生開始
15:12 「Wow」に合わせて日の出
15:22 曲終了と同時にカット変更

物語のテーマを掴み切った曲を映像と一致させたとき、映像と曲の破壊力が相乗的に上がります。

「夢のヒーロー」は作る側がやりたくてやりたくて仕方がなかった仕掛けとシーンだと思うので、当然と言えば当然。

そして、オーイシマサヨシさんが脚本を見てUNIONを書いた熱量が何倍にもなって伝わってくる。
言葉選びも、曲の展開も、天才か。
あまりにもネタバレすぎて一回リテイク喰らったとも呟いてましたねw


楽曲と映像のシンクロに酔える、最高のラストバトルでした。

以上!

ルーンクエスト・グローランサ用アクションカード配布

ルーンクエストを遊ぶ会で使用した、ルーンクエストグローランサのクイックスタート向けアクションカードを公開しました。


https://drive.google.com/drive/folders/10FWIw_3r_2kUqRTKi5CFgX--m-aQTnsL

(手元にカードがないのでまりおんさんの写真を無断で拝借。怒られたら消しますw)


欲しい人いないだろうと思ってたんですけど、twitterのタイムラインでスペルカード作ってる人を見かけたので。


セブンイレブンのオンラインプリントにPDFをアップロードして出力。
カラーA3は1枚100円なので11枚で1100円。
1枚にカードが18枚印刷されるのでカッターで切り分けて下さい。198枚。


カードはポーカーサイズです。
デュエマとか使わなくなったトレーディングカードに重ねてスリーブに入れると使いやすいです。


下記の3つを買って、1キャラクター1冊のブックにすると管理しやすかったです。
カードが多いから、バラバラに持ってると大変なので。

  1. スリーブ50枚入り×4 ヨドバシ・ドットコム http://www.yodobashi.com/product/100000001003164582/
  2. トレーディングカードリフィル12枚入り×6 ダイソー
  3. A4紙バインダー3冊入り×2 ダイソー


印刷から全部合わせて2500円ぐらいですかね。


いちおう想定する使い方のサマリも入れてありますが、実際はガチガチに運用するより、単に行動宣言として使う程度がラクかもしれません。
もし使っていただいた方がいれば、感想とかいただけると喜びます。

コンセプト

初心者対応卓を承って「4時間のプレイ時間でルーンクエストのルールのインストとシナリオとか絶対無理」と思い、「ストライク・ランクの計算をせずに、行動宣言としてカードを出せばいい」というのがコンセプトです。
ルーンクエスト3版と違って移動がラウンドの最初の「移動フェイズ」のみになっているので、行動変更とかほとんどないからカードだけで成立するんじゃない?と思って移動も武器の持ち替えもパッションの喚起も、とにかくキャラクターのできる行動を全部カードにしてみました。

原本

元データはフリーソフトGIMPを使って作っていますので、自分でいじりたい人にはtwitterで声をかけていただければxcfファイルを渡せます。
ただしカードを1枚づつ作ってPNGにしてからA3に集約しているので、レイヤー付きのファイルがカード枚数分(200ファイル)あります。
レイヤー名とか汚いままで、広く配布するにはちょっと恥ずかしいレベルなので、どうしてもという人がいれば、程度です。

ルーンクエストのキャンペーンプレイヤー募集とか

毎週下北沢でルーンクエストのキャンペーン4本ぐらい交互に回してます。
興味のある方がいればお試しにでも遊びに来てください。
なぜかエンジニア属性の人が多いです。
https://www30.atwiki.jp/hazama/pages/60.html

https://twitter.com/nayuta77 で声かけてくれるとだいたいすぐに捕まります。

オタクとコミュ障と差別と多数者による侵略

統計も取ってなければ歴史的経緯の裏を取ったわけでもない個人的観測と憶測記事です。
昔からもやっと抱えてきていた問題に、ここ数年で自分としては整理ができてきました。
飲みやtwitterで少し垂れ流すこともあるけど、どうしてもとりとめがなくなるのでここでまとめます。


まず論旨だけ簡潔に。わかりにくい部分は後ほど補完。

  1. 「オタク」という定義不明の単語が使われる源流には排除の意識がある。本質的にはコミュ障の排除。オタクという言葉が変遷する中で見えにくくなっている。
  2. コミュ障は基本的に少数者で、人間の多数派はコミュ障を無意識的に迫害する本質を持つ。
  3. コミュ障は治らない。コミュ障を明確な障害者として社会的に位置づけたほうが良い。
  4. コミュ障の救済として、対人スキルが不要もしく最小化できる娯楽・コミュニティがある。
  5. それが何かは社会と時代と変わる。現代日本では小説、漫画、アニメ、ゲーム等だった。
  6. 娯楽が醸成され、エンターテイメントとして質が向上してくると、多数者がそれを消費し始める。
  7. コミュニティで標準的なコミュニケーション力が要求され始め、コミュ障は排除される。


概要は以上。


以降はこう考えるにいたった個人的体験とか観測とか見解。
長いです。



オタクと括りたがる属性の本質

オタク関連のニュースとかtwitterのタイムラインを見るたびに、
「そもそもオタクの定義って何?それを定義してから話したら?」と苛立ちます。


苛立ちの主因は、「オタク」と括りたがっている多数者は無意識的に排除を目的にしているから。
「自分たちとは違う=普通じゃない」
という図式が透けて見える。
そしてそれに括られるのがイヤなんじゃなくて、多数者が排除したい本当の属性を包み隠す形でオタクという括りが使われるから。


オタクを自称する側もなんで自分をオタクと括るんですかね。
オタクって括り、いりますかね。


括りはいる。ただ、本当に括るべきはオタクという言葉じゃないんじゃないかなー、って。




俺はオタク自認がありません。
もしかしたら差別用語として出て来たとか、そういう経緯を見て来た忌避感もあるかもしれませんが、漫画が好きだのアニメを見るだの、そういう行動様式で括っても意味ないだろ?と思うからです。


俺の一番特徴的な気質は、「何か作りたい。俺が作ったもので人に驚いて欲しい。俺が一番だ。俺が正しい。」かなと思ってます。
(もちろんそれなりの年齢なので、自分が一番でないことも、正しくないことも知ってます。気質の問題です。)


とにかく常に何か作らずにはいられない。
小説、ソフトウェア、TRPGのルール、動画、こういう記事。


自らオタクだと自称している人たちを見ていても、コンテンツを消費してるだけでもオタクだという人も多いです。
まったく行動様式が違う。


アニメやマンガを好きならオタクなの?
時間をたくさんつぎ込んだらオタクなの?
一つのことにとにかくこだわったらオタクなの?


小説は?映画は?鉄道は?将棋は?プログラミングは?
自転車は?武道は?肉体改造は?日曜大工は?車は?


実は用語としてのオタクは若干定義されていたりもしますが、世間様がそれに従ってくれるわけでもない。
オタクって、すごい便利な、「何を根拠に差別しているのか」を包み隠す言葉として機能してませんかね?


マニア、ネクラ、オタク、コミュ障、陰キャ
時代変遷で領域を変えつついろいろありますけど、一番正解に近い「言葉」はコミュ障でしょう。


この文ではコミュ障の定義を
「他者との交流に対する欲求が少ないもしくは能力が低いことによって、社会集団の多数側に所属しにくい、排除されやすいという障害を持つ」
としておきます。
「人と話そうとするとどもるとか緊張して話せない」だけではなく、「話そうと思えば話せるけど社交的な会話が嫌い」「話すのは得意だけど人の感情を受け取れない」というのもコミュ障だっていうことですね。
言語障害を含む医学的な「コミュニケーション障害」の定義があるようですが、それとは異なります。


世間はコミュニケーションに障害がある人間、つまり世間にコミットしない/できない人間を排除したい。
これを明確に意識してから、俺はすごく生きやすくなった。
はっきり排除の原理が示された社会のほうが、世のコミュ障にとって幸せなんじゃないかなー。


俺がいまになってやっと理解したように、コミュ障はそもそもこの暗黙の了解に気付くことができない人が多いので、まだ気づいてないけどもやもやしているコミュ障の人の理解の一助になればと思ってこの記事を書いてます。

健常者の暗黙の趣味「人付き合い」

何年か前に人間の第一の趣味は「人付き合い」で、あまりにも普通すぎるからそれは趣味として認識されない、という言説を見て、目からボロボロと鱗が落ちました。


その瞬間に、
なんで学校でも会社で何人か連れだって食事するのか、
なんでずっと人のうわさ話をしているのか、
これまでの人生で理解できなかったいろいろなことがつながりました。


そうか。みんな仕方なく人付き合いをしてるんじゃなくて、
人付き合いが「したい」のか。


2010年頃に、人間の欲求を生存、性、所属、尊敬、独立、消費、成長の7つに分けて心の動きをシミュレートするTRPGのルールを作っていました。
ルールとして作ってはいたんですけど、理解していなかった。
その瞬間やっと「あ、所属欲求が高いってそういうことか」と理解できた。


もちろん俺にも所属欲求はあるんですけど、そのレベルが違う。
そもそもみんなにとって人付き合いが一番大事なんだ、ということに、40いくつまで年齢を重ねてはじめて気付いた。


俺はTRPGのルールを作って、数字の挙動が現実と一致するのを見るまで理解できなかったわけです。
ひどいコミュ障ですね。

社会的動物の特徴

で、人付き合いが好きな人々っていうのは、そもそも多数者です。


生産力の低い社会では人間はそうでなくては生きていけなかった。
そしてつながる人間こそが子を為すわけだから、仮説としては淘汰もそちら側に有利に働く。


つながらないことは社会にとって「悪」ですよね。
だから人間の持つ様々な性質の中でもコミュ障っていうのは忌避すべき、忌避しなくても自動的に排除される特性ということになります。


意識するかしないかは別として、健常者はコミュ障に生理的嫌悪感を感じるでしょう。
私も言葉の通じない相手に対しては、害がないとわかってても嫌悪感を感じるので。
(もちろんそれを表に出すかどうかは別です。)


無意識の嫌悪の積み上げは対象に不利な社会的ルールとして現れます。
暗黙のルールこそが健常者、コミュニケーション強者の強味です。
健常者は暗黙の基準に従わない人に、「あの人は常識を知らない。私たちはあの人とは違うよね」と実に楽しそうに噂話をします。
自分たちが普通であること、「世間様」の一員であることの確認にもってこいですよね。



コミュ障という障害者

私の家族にも友人にも、鬱で適切な社会的対応がとれなくなった人が何人もいます。
深くその状況と向き合わなきゃいけないことも何度かありました。


会社でどう注意しても、人に言われると、やってはいけないことをやってしまう人がいます。
人から苦情を言われると、頭が真っ白になって、反論することができず、言われた通りのことをしてしまう。


会社でとてもコミュニケーションの苦手な人がいました。いなくなっちゃったけど。
俺とはそこそこ話せたので、コミュ障を馬鹿にする健常者との軋轢で捻じ曲がった部分は多いです。


俺のいまの結論は「知的な能力、社会的な能力は向上しない」です。


もちろん、骨折が治るように、治る心の病もあります。
ただ腕が切れれば生えてこないように、治らない心の病もある。
生まれつき目が見えない人のように、生まれつきあいさつのできない人間もいる。


手や足がなかったり、目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりは、みんな「治らない」ものとして認識します。
生きやすいとは言えない社会ですが、「サポートしようよ」という合意も取りやすい。


知的な能力は学力テストがあるので認識されないわけではないけれど、社会的な能力はまだそうした共有される評価軸や体系化された教育がない。
「誰でも人付き合いはできるはず。直せるのに直さない人はおかしい。」と認識される。
目に見えず、計測されず、みんなはできるのが当たり前だから、できないのは本人の努力だと思ってしまう。


目が見えない障害者を社会が障害者としてサポートするなら、あいさつができない障害者も社会がサポートしないと辻褄が合わない。


肉体的トレーニングがそうであるように、知的・社会的トレーニングは無意味ではありません。
でも脚のない人に這ってマラソンしろ、とは言わないでしょう?


鍛えられること、改善できることはあるし、できないところもある。
改善できる素体能力のない人の社会的対応が悪い、常識がない、ってバカにするのは差別ですよね。


「オタクキモイ」っていっても世間様的には笑って流されますけど、「障害者キモイ」っていったら大炎上ですよ。


コミュ障と相性のいい趣味や職業

小説・漫画・アニメ。空想上の物語で社会や人間関係を取り扱う趣味はコミュ障と相性がいい。
ひとりで過ごせる時間、空想上での感情移入による所属欲求や尊敬欲求の充足。
現実と比較した時の情報量の少なさ。単純化と強調。


そして、特定の趣味に傾倒した場合、同じ趣味の相手とは話のすり合わせが少ない。
健常者は天気、相手の近況、芸能・スポーツと「多数とコミュニケーションするための社会的最大公約数の話題」を駆使しながら距離感を作っていきます。
コミュ障はこれができない。俺は必要性さえ認識できなかった。
他者が「自分とは違う」ことが理解できない。
だけど、特定の領域に強く興味を持つ相手であれば、いきなりリビドーの制御をせずに、好き(=自分)を話し始めても受け入れられる可能性が高い。


コミュニケーションに割く脳の情報処理が圧倒的に少なくて済みます。


また、ゲームというのもひとつの回答で、できることが決まっている=現実と比べて扱う情報量が少ない。
選択が相手に影響を与えるのであれば、それは簡略化された言語によるコミュニケーションです。
相手の応答の意味を考えなくてはいけない現実よりも少ないコストで明確な反応が得られ、コミュニケーション欲求、所属欲求が充足できる。


さらにTRPGは現実の人間を自分の前に長時間拘束して話を聞いてもらうという特性を持っています。
人に向けて口を動かして言葉を話す、というのはコミュ障が精神的には苦手でありながら、肉体的には快楽という行動です。


私の観測では、自分も含めて、昔のTRPG界隈にこうした人物は多かったと思います。
いわゆる困ったちゃん問題の本質はここにあるんじゃないですかね。




従って、オタクという言葉が差別的に成立したというのも、アニメ・漫画好きだからオタクなのではなく、いまで言うリア充的集団から排除されたコミュ障が多く集まり、集団としての社会的適合性が低いことへの嫌悪感から差別的な認識がされるという相互作用の結果じゃないの、と思うわけです。


コミュ障は自らを被差別者として自認するという傾向も見えますが、雑駁になるので割愛。


そしてクリエイターや研究者という仕事もコミュ障と相性がいい。
なので、多数者が興味を持たない場所で、迫害されて鬱積されたエネルギーが技術やコンテンツを育てるという構造もあります。


オタク=コミュ障なんじゃなくて、コミュ障が多く集まる場所や職業がある。
別に全員がコミュ障なわけでもないし、コミュ障の程度も現れ方もいろいろある。



無自覚な侵略と排除

昔の漫画やアニメを見ると、結構目を覆わんばかりの荒い話も多いです。
その時代に作られていた映画はもっと質がいいし、小説はさらに。


ひとつひとつの作品の話ではないです。
時代の変遷でエンターテイメントは質が向上し、情報量が増え、快感の費用対効果があがる、という話。


そしてコンテンツがブラッシュアップされ、泥臭さ、コミュ障臭さが薄れた先に、人付き合いが趣味の健常者が、人付き合いのための話題としてそれらを使う時代がやってきます。


インターネットもそうなりましたし、アニメではジブリがわかりやすかったですね。


ライトオタクという言葉ができたり、オタクが差別用語じゃないと言われ始めたり、人付き合いを普通にするけどオタクなんですと言ってみたり。
これ、「健常者がオタクになった」とか「オタクが増えた」んじゃないですよね。
コミュ障が逃げ出した先で、差別された情念を煮詰めて作り上げてきたエンターテイメントを、健常者が「オタクなんです」って名乗って消費するようになったってことです。


そして、ゆっくりと、あるいは急速にコミュニティに健常者が増えます。
すると、コミュニティでの人付き合いのルールがコミュ障のルールから健常者のルールに変わります。
これに逆らうことはできません。
なぜなら健常者はコミュニケーションすること、つながりあう専門家であり、コミュ障はその能力を持たないからです。


こうしてコミュ障は安息の地を追われます。
健常者は「なんで?いていいんだよ?」と言います。
無自覚に高い社会的応答を求めつつ。


いまのTRPGシーンとか、アイマス界隈とか、ソシャゲとかみてて、パイが大きくなって人付き合いを「したい」人が増え、一定の常識とか社交性を求められたりしてるのを見ながら、「んーw」と半目になっちゃうわけですw



ちょっと未来の話

ようするに何が言いたいかというと、

「コミュ障は差別されるし治らない。
 俺は自分がなぜ差別されるのかを理解するのにすごい時間がかかった。
 早く教えてくれよ。もっと生きやすかったかもしれないのに!
 あと、コミュ障の生きやすい社会(矛盾)にならないかな!」

ってことですね。


恨み言ばかり言ってても仕方ないので、前向きなほうを。


心の病というのはあるんだよ、というのがやっと社会に受け入れられるようになった昨今、もっと人間の心の仕組みがわかる時代が来ますよね。
目が見えない、腕がないと同じように、他人の話を聞く能力がない、共感する能力がないみたいに、欠損している機能が明確になって、誰でも見えるようになると世界が変わるのかもしれません。


この数年、VR、AIと来て、このあと人間社会を変えていく技術がバーッと出てきて楽しみで仕方がないです。


ただ、TRPGで欲求値とか社会的関係性とかのルールを組んでいると、多様性の維持という錦の御旗こそあれ、人の生産性や社会貢献度が数値化される世界はどうなるんだろうなぁ、と考えます。
正直、根拠のある差別という着地点もあるのかもなぁ。生物的にはそうだよねー。とか。
ただ数値化を煮詰めてると、これ個人の数値じゃなくて集団の数値じゃないのということもよくあって、人間とロボットの境界があいまいになる未来には、アイデンティティーの解体からスタートかねぇ、とか思ったりもします。


まとまらないけど、書きたいことは書いたのでどっとはらい