テーブルトークの楽しさ

※この記事は過去サイトからの移設記事です
ここから先はグローランサマニア向け、もしくはうちのプレイヤーへのネタの小出しになるので、グローランサってなに?という人は読んでもよくわからないかも。
ただ熱量をもって書くので、グローランサを知らない方にも楽しんでることが伝わればいいなぁ。

テーブルトークの楽しさというのはいくつもあるわけですが、私が強く賛同しているのが

『フレームとはその個人の神話=世界観=価値観=哲学に他ならないので、(マスター/プレイヤー全員による)物語の主導権争奪戦こそ、人間と遊んでいる実感がある。』

http://www30.atwiki.jp/hazama/pages/224.html
という我がプレイヤーの発言で、他で紹介するときは
『世界観のぶつけ合いと認知のプロセスがテーブルトークの楽しみだ。』
と省略させてもらってます。

世界を実感させるものは何か

ちなみにこのプレイヤーは『「お話」は10%でいい。90%の戦闘が本当の人間関係を作る。』(意訳)という戦闘狂ですが、実際にその通りのセッション(キャンペーン/死剣 30セッションで80戦闘w)をやってみたら、驚くほど本当だったと言う経緯があります。


なゆたは比較的徹底してセンス・オブ・ワンダーを追求するほうで、
http://www30.atwiki.jp/hazama/pages/241.html

技術主体になって、魔術はいらなくなるんじゃない?
裏を返せば魔術があれば技術はいらないんじゃない?
魔法で≪破裂≫が使える世界で、爆薬の研究するかなぁ。≪破裂≫を強化しようとするんじゃないかなぁ。

みたいなスタンスで世界を構築していきます。


ただ、あまりにも突飛な、プレイヤーの想像できないものを押し付けてもしかたありません。得意なんですけどねw
1の不思議を記述するには、9のリアリティが必要です。
その点でグローランサは優れていて、文化人類学的なアプローチで書かれたこと細かな設定が、魔術のある世界を地に足の着いたものにする手助けとなっています。


そして、ルーンクエストの詳細な戦闘ルールはこれと同じ役目を担っていると言えます。
戦闘のときの1ストライク・ランクの一挙手一投足、手足が飛び、内臓が飛び出す戦闘バランスが、プレイヤー達にリアルな世界を体感させ、そこで結ばれた信頼関係(or敵対関係)に重みを持たせます。


「結果が明確」というのも大事なことです。
政治戦や恋愛譚では評価しにくい結果が、戦闘ではキャラクターシート上の数字、それも詳細に現れると言うのは素晴らしいことです。


文字で書かれた世界設定よりも、システムで表現され、その項目がプレイされて初めて、プレイヤーは世界を実感します。