『推しの子』を覗き込むYouTuberを覗き込む愉悦

とてもいい出会いをした。

 


 

最初に『アイドル』を見たのは4月。

ニコニコのランキングだった。

 

『推しの子』については一切知らない状態で、うすらぼんやりバズってる空気だけ感じて動画を開いた。

 

ラップパートになったところで動画を閉じた。

 

ラップが酷いとかそういうのではない。

そもそも酷いかどうか判断する素養も持ってない。

 

『夜に駆ける』はそこそこ聞いていた。


歌い上げる感じは嫌いじゃないけど、歳を重ねたのもあって、視野狭窄的な感情は少し距離を取りたくなる。

 

「はいはい。また闇系ね」と嫌気が出て閉じた。

 


 

ここからネタバレが入ってきます。

『推しの子』は事前情報なしで見ると、とても心によいアニメです。

アニメ9話をみた後に書いているので、そこまで見ていない人は見てから読んでくれるとうれしいです。

 

何話まで見て、ともいえない。どこでヤラれるか、知ることさえ興を削ぐ。

原作既読の人は想像がつくとは思うけど、それでも何話ともいいたくない。

(この記事のタイトルも結構なネタバレではある)

 

準備ができた人だけ先へどうぞ。

 


 

5月、twitterがあまりにも騒がしくなって、1話を見た。

 

正確には、

 

転生した時点で動画を閉じた。

 

俺はアイドルマスター界隈にいる身だけど、「推す」という感覚は一切なくて、プロデュースだという夢を見るオールドタイプ。

それも「売れる娘、強い娘」を選ぶという、性能厨に近い、ある意味芸能商売に近い感覚で関わってきていた。

ライブに行けば楽しいけれど、別に声優を推したいとも思わない。

 

転生モノも好きではない。

子どもを育てた身としては、赤子に大人の知力が入った時点で、だいぶリアリティラインを飲み込むのに努力しないといけなくなる。

 

ノット・フォー・ミー。

 


 

6月。YouTubeが『アイドル』一色になった。

FGOやらDQWの動画を見ているときに、ひたすらおすすめに出てくる。

無数の歌ってみた。リアクション動画への導線。

 

さすがに異常だ。

何かが起きてる。

 

もういちど、1話を開いた。

 

夜中の0:30に。

 

動画時間に気づかずに。

 

気が付くと、──2時だった。

 


 

ボロ泣きして、口に手を当てたまましばらく考え込んだ。

 

悲しさではない。

 

あえて「この程度」と書くけれども、

この程度の悲劇は無数の作品で描かれているし、もっと悲惨な現実も多々ある。

 

おまけに転生で下がったリアリティラインは、アイの復活も転生も妨げない。

 

でも、この作り手たちは「そうではない」と言っていた。

丁寧な映像表現、緻密な言葉の組み立て、人間心理の論理的な積み上げ。

 

「おおきな嘘は一つだけ」


1時間30分の尺で、ご都合主義の雰囲気作品ではなく、明確に設計されたエンターテイメントを提供すると宣言していた。

涙は脚本と楽曲で流させられたものだけど、心に残っているのは制作者たちの決意と技術だった。

 


 

続けて、2話と3話を見て、さすがに仕事に差し支えるので寝た。

次の日の夜、5話と6話を見て、「推しの子」のメタ構造にくらくらと揺すぶられて。

 

次の日、7話で脳を焼かれた。

 

シン・ゴジラの放射熱線の美しさにも脳を焼かれたんだけど、それ以来の感覚だった。

もしかしたらもっと。

数十年ぶりかもしれない。

 

ちょっと思い出せない。

 

8話に進まずに、アクアに理想の女性像を聞くシーンからEDまでを、ひたすら1時間以上見返してた。

 

結構ベタな演出だけどなんで焼かれたか、理由の考察含め各話の感想は別記事で書くと思うけど、この記事の目的は各話ではないので、やっと今回の本論に入ろうと思う。

 


 

次の日、人の反応が見たくなって、関連動画に表示された7話のリアクション動画を見た。

──リアクション動画なんてみたことなかったんだけど。

 


気持ちよかった。

 


自分で繰り返し見返していると、もう予測してしまっているので、最初の快感には及ばない。

アカネの覚醒シーンで息を飲むリアクションを見ていると、少し最初の自分の感覚に近づける。

8話、9話を見てから、7話のリアクション動画をひたすら漁った。

日本人のリアクションはついついニュアンスやウザさに突っ込みたくなるので、外国人のリアクションがよかった。

 


 

少し落ち着いてから、1話のリアクションをいくつか見た。

それから気に入ったリアクターの6話と8話のリアクションを見比べていった。

 

すごい。

 

ぴえヨンの「手っ取り早くバズらせる方法」では、リアクター達は正座待機でアドバイスを受けようとしていた。

 

恋愛リアリティーショーのあかねの炎上に彼らは動揺して、明らかに自分のこととして受け取っていた。

 

ゆきのカメラを意識した「誇張」は、彼らに自分の誇張について語らせて、そして。

 

ここに至って、

『推しの子』を覗き込んでいたリアクター達は

 

──1話のアイの死に流した涙はではないのか。

 

──『アイドル』に「Amazing!!!!」と連呼したのは、バズに群がるお世辞ではないのか。

 

──晒された手口を視聴者と共有したうえで、どう編集してリアクションを出すのか。

 

と、

 

『推しの子』に覗き込まれ、

嘘を吟味される存在になっていた。

 



やー、すごいなー

 

『推しの子』がバズとして消費されることも、すべて含めて。

現代ソーシャルエンターテイメントのメタが循環する相互監視状態!

 

おもしろ!

 


 

ということで、

リアクタ―の誇張アクションから、まないたに乗せられた彼らの心情を読むという、

アカネのプロファイリングのような状態が楽しい!というお話でした。

 

もちろんこの記事も、覗き込まれる窓でもありますよね。

 

おもしろい。

 

 

そのうち、各話の感想を書きたいと思っています。

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