俺マスタリングの要素2−神格としての「なゆた」

世の中にはいろいろなゲームがあっていろいろなマスターもいるけれど、コンベにいくわけでもなく視野も狭いので、自分がどう類型化されるのかは正直わからない。
まあ「アドリブマスター」「システマチックなワールドビルダー」「ギャンブルマスター」「設定マニア」とか矛盾する評価をもらいつつ、マスターのタイプとしてではなく本質として何があるのかといえば
「ただひとつの世界に対する信仰心」
なんだろうなと思っているわけです。


「ただひとつの世界」というのはグローランサという意味ではなく、なゆたがマスターをするグローランサ、つまり世に言う「俺グローランサ」なんですが、実は「俺」ではないというのがポイント。
「なゆた」のマスタリングするグローランサは、俺よりもグローランサに詳しいプレイヤー、俺よりも視野の広いプレイヤー、俺よりも経験豊富なプレイヤーにたくさんのものを貰いました。もちろんいまでも貰い続けてます。
だから俺はプレイ中に「このNPC、どう行動すると思う?」とか、「この政治状況でこの集団はどう動くかな?」とか、プレイヤーに聞いたりします。



マスターとしてそれでいいのかって?

知 ら ね ぇ よ !

だってプレイヤーのほうが頭いいんだからしょうがない、ですよねー。



ということで、「なゆた」はいつしかプレイヤーの意見やキャラクターの行動を、矛盾するものも含めてひたすら溜め込む器となっていたのです。
もちろんその器の中には俺の考え方や知識も入っているんですが、1500を超えるセッションを「ただひとつの世界」でやってきた結果、莫大に積みあがった判例が、自然と世界のルールを形作っています。


いまはもう、起こった出来事を混沌とした鍋の中にいれてやれば、適時反応して結果が湧き上がってくる、というわけです。


そして次々と投入される出来事は、鍋の反応を徐々に変え、世界を変えていきます。
世界が変わったとしても、個々の出来事は失われるわけではなく、見え方がかわったり、本当の味が出てくることもあります。



つまり「なゆた」は普段個人の人格のように振舞っていますが、実はプレイヤーとキャラクターの意識の集合体、ヒーローバンドのワイター、いやどちらかといえば神聖カルトの神格に近い存在だったりするわけです。



だからこのブログではマスターとしての「なゆた」を俯瞰して語るために、一人称を「俺」にしました。
読んでくれている方は、そのあたりも生暖かく見ていただけるとありがたいです。