77は神の目-2
77は神の目-1の続きです。
- 技能ロールや抵抗ロールのD100で77をロールしたら再ロール。
- 再ロールが76以下なら「望みうる限り最善の成功」、78以上なら「考えうる限り最悪の失敗」となる。
- 再ロールが77なら行った行動とは無関係に「考えもしない事態」が起きる。
- 一見ヒーローポイントや見せ場を作り出すルールに見えるかも。
- 「シナリオ」であれば阻害要因にしかならず、成功するはずのない行動/失敗するはずのない行為に、バランス取り不能の風穴を開ける、マスター殺しのルール。
このルールは少なくとも「なゆた」にとっては、非常に素晴らしいルールとして機能しています。
表面的にはみっつ。
ひとつは、プレイヤーにとって見れば常に突破口がある。
絶望的な状況、閉鎖的な状況でも、77クリティカルを出せばどうにかなる!
という希望の灯火として働くこと。
ただこれは「77頼み」という別の諦めや安易な逃げを生むこともあります。
ふたつめはセッションに対する緊張感の維持と定期的なカツ入れ。
身内で長くやっていると、どうしてもセッションがだらけてしまうことというのはありますw
77のクリティカルやファンブルでも一定緊張感を取り戻す効果がありますし、
「もしもう一度77が出たらどうしよう」
という緊迫感は、カツ入れとして非常に効果があります。
もちろんこれには77の扱いを、常に一定レベル以上の強度に保ち、プレイヤーに規範として示し続ける必要があります。
「考えもしない事態」としか定義していないので、しょぼくやろうと思えばしょぼくできちゃうから。
みっつめはドラマ性に対する納得。
これも派手な結果が起こることそのものが効果なのではなく、
「そんな偶然あるのかよ!」
という状況を、ある種の驚きと諦観を持って納得できること。
確率が100分の1であること、失敗と成功が紙一重であることをルール的に保障しているので、ストーリーがマスターによって決められている感を減らし、
「これは・・・まあ、ここで77のクリティカル/ファンブルでたらこうなるわなぁ」
という感覚を生み出します。
これだけなら他にどうにでもルール化しようがあります。
しかし最大のポイントは、77という数値。
目としての解りやすさもさることながら、実際に使ったときの絶妙な比率。
頭で考えたルールではなく、自然に定着したルールの持つ強さがある。
そしてこの比率はなゆたのマスタリングに対する世界観、思想そのものにシンクロしています。
世界は善意76対悪意23の天秤の上に乗っている。
76パーセントの守護と23パーセントの無慈悲。
マスターとしてはプレイヤーに成功して欲しい。
しかし成功の保証された課題には葛藤はない。
無理な救済や都合のいい解釈はしませんが、世界的に自然であればプレイヤーキャラクターには常に助けの手を差し伸べます。
受け入れるかどうかはともかく。*1
プレイヤーキャラクターは間違いなく優遇されている。
助けたい!という76パーセントのメッセージ。
それでも、見捨てることはあるよ?という23パーセントのメッセージ。
これをマスターが言葉として語るのではなく、世界律として、それも
D100ロールのたびにプレイヤーに意識させる「ルール」として機能している
というのが、「77は神の目」の最大の効能です。
テーブルトークの楽しさ
文字で書かれた世界設定よりも、システムで表現され、その項目がプレイされて初めて、プレイヤーは世界を実感します。
77/77の効果についてはまた後日。
*1:ルナーの道に入らないか?とか混沌の諸相あげようか?とか