TRPGと口承文芸-4 口承文芸の要素を検証して見る3

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俺はTRPG、ゲーム、口承文芸、どれについても定義に自信がありません。
TRPGの要素を抽出していますが、すべては比率の問題で、正解がないと思っています。
それに俺の知っているTRPGの世界は日本だけなので、世界ではまた違うのかも。


その上で、この一連の論考は「TRPGは第一にゲームである」という前提を試しにひっくり返してみることによって、ゲームとして説明されることで回り道をしていたTRPGの楽しさを見つけることができないか、みたいなことを考えています。
これも「i方向に捻る」の一形態ですね。



さて、前回わざと抽出しなかった部分などを比較しながら、考察をすすめていきましょう。

口承文学 - Wikipedia
口承文学(こうしょうぶんがく)とは、文字によらず、口頭のみで後世に伝えられる形態(口承)の文学である。文字を持たない民族に伝わった物語、あるいは、宗教的呪術的な理由などにより、文字(書物等)として伝えられなかった物語などである。口承文芸などともいう。

口伝であるため、物語は固定されることがなく、途中で新しいエピソードが挿入されたり、話の筋が変わったりすることもままある。また、その物語の伝承者が絶えると同時に、物語そのものも辿ることができなくなってしまうのも特徴の一つである。民俗学などの分野では、これらの文字を持たない民族の物語も研究対象にしており、貴重な民俗資料となっている。研究のために文字で書き留めたものが出版されているため、現代では、口承文学の全てが口承でしか伝わっていないとは言い切れない。

日本昔話原論稿                       稲 田 浩 二      本稿は
この前後の形式句で示される昔話は、「昔語り」と呼ばれる、非日常会話的な抑揚とまをもって語られる。一方、これを聞く聞き手は、語り手の語りに応じてあいづちを打ち、話の内容を納得し承認していることを語り手に告げて、次への展開をうながす。また、「はなし」の聞き手 は、あいづちの代わりに哄笑や半畳を入れるなどして、話を楽しんだり、けなしたりする。いずれにせよ、聞き手は、一方的に昔話を承るのではなくて、昔話の成立に参加している。語り手は気ままに物語るのではなく、聞き手の反応によって方向づけられ修正される。
従って、口承文芸たる昔話は語り手が聞き手に語るたびごとに成立する一回性の文芸であり、またその伝承の場で次の世代に迎えられるようにつねに新生しつづけるものである。昔話が時代とともに変化し、長い生命を保ってきたのは、このような、伝承の場における語り手と聞き手の再創造的構造にもとづくものといえる。
稲田浩二・京都女子大名誉教授の日本昔話原論講)

8.口頭のみで後世に伝えられる文学である

もっとも異なる点です。TRPGが成立してまだ40年ぐらい。後世に伝えようもありませんw


あれ、口承って「口で伝え継ぐ」だから前回の『TRPG口承文芸の一形態』は間違い?
それに、伝えるとするとなんでしょう。ルール?シナリオ?方法論?
おかしいですよね。口から口へ、大人から子供へ、「伝えるもの」ありますか?
なぜこんなに似ているのに、肝心のところで一致しないんでしょう。


TRPG口承文芸の多くの形を持ちながら、「伝えるもの」がない。
それはなぜなのか。
項目9を見てみましょう。

9.前後の形式句で示される

形式句については別の段に下記の記述があります。

稲田浩二・京都女子大名誉教授の日本昔話原論講
すなわち、このような形式句は、本来は、語り手の語る物語が褻(け)のはなしではなくて晴(はれ)の話であること、従って、聞き手が恭しく承るべき大切なものであること、を聞き手に確認させ、警告するものである。

ハレとケ - Wikipedia
柳田國男が近代化による民俗の変容を指摘する一つの論拠として、ハレとケの区別の曖昧化が進行していることを提示した

「晴れの話」「恭しく承るべき大切なもの」
これが口承文芸の快感の本質、現代日本におけるTRPGの位置付け・その不遇を表すポイントかな、と感じます。
現代において、ハレとケの曖昧さはさらに昂じて、「価値観の多様化」にまで達しました。
だけど「価値観の多様化」って、「価値観の多様化を認めない」という価値観を排斥するんですよね・・・。


なぜ口承文芸が存在するのか、なぜTRPGが存在するのか。
人は何を求めてそれを営むのか。
その快感が一致しているのであれば、何かが口承文芸から「伝えるもの」を取り去った残りがTRPGなのかもしれない。
それともTRPGに「伝えるもの」「伝わっているもの」があるのか。
たんにTRPG口承文芸を同種とみなすことが間違っているのか。
この部分は「口承文芸の快感とTRPGの快感」という比較で考察して見たいなあ。

10.語り手が聞き手に語るたびごとに成立する一回性の文芸

TRPGって文芸ですかね。どうでしょう。
一回性であることは間違いないと思います。これは「ゲーム」という性質とも整合します。
だけど俺にはTRPGの楽しさって、もしかして「ゲーム」じゃなくて「芸能」が大きいんじゃないの?という感覚があります。だってゲーム性を楽しむなら、もっと緊密な資源管理のできるゲームはいくらでもあるじゃないですか。

芸能 - Wikipedia
日本の芸能は村々における神祭りの場を母胎とした。黎明期の芸能はシャーマニズム儀礼の形をとっていたと考えられている。

俺が「口承文学」ではなく「口承文芸」の語を選択しているのは、このためです。

11.伝承の場で次の世代に迎えられるようにつねに新生しつづける語り手と聞き手の再創造的構造

これが項目8から10と絡んで、「次の世代」とか「新生しつづける」というあたりをどう位置づけるか悩ましいところです。
「語り手と聞き手の再創造的構造」は間違いなく日常的にセッション中に行われているんですけどね。
テーブルトークの楽しさ - 蒼き月の囁き
いや、無理に位置づけなくてもいいんですけど、おそらく「失われた何か」は異なる形となって現代に回帰していると思うんですよ。
ここに来るとおそらくTRPGという範囲を外れてしまう。
現代の情報量の氾濫、物語の消費という問題をどう考えるのか。
もしかしたらマスというアイデンティティーを語り手と聞き手に配置して、再創造的構造を論じることができるかもしれません。
まあちょっと筆の及ばない(いやここまでも及んでいないかもですけど)ところなので、誰か論じてくれないかな、と他力本願w
ただ「伝承の場」ということばが出てきています。これについては俺も何の説明もせずに「場」ということばを使ってきたので、少し書いてみようとは思います。



とりあえず「口承文芸の要素を検証して見る」はここまで。
次は「口承文芸の快感とTRPGの快感」かなあ。たぶん。


まあそのうちに。