TRPGと口承文芸-3 口承文芸の要素を検証して見る2

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TRPGと口承文芸-2 口承文芸の要素を検証して見る1 - 蒼き月の囁き


さいしょに記事を書きながら気になったことを。
この比較記事は「口承文芸」の定義として7項目としてるけど、口承文芸の中の「昔語り」と限定したほうがいいかな。
TRPGにも様々なバリエーションがあるように、口承文芸にも様々なバリエーションがあると思います。
この記事はその中でもっとも近いと思ったものとの比較です。
いまから遡ってタイトル直すのは大変ですし、俺は昔語りに限定されないなと思ってるので、とりあえず「口承文芸」でいきます。


では前回提示した7項目について、順次検証。

1.物語は固定されることがなく、途中で新しいエピソードが挿入され、話の筋が変わる

TRPGで物語が固定されているというのはちょっと想像がつきませんがどういう状態だろう。
筋は同じで判定によって所要時間が変わるけど、物語の起承転結は同じ、とか?
でもそれって固定されてるともいえないよなぁ。
あらゆるゲーム的要素もプレイヤーの自由発言も規制すれば・・・って、たぶんTRPGじゃないw
まあこれは「TRPG口承文芸で共通」と認定してしまっていいでしょう。

2.伝承者が絶えると同時に物語がなくなる

ログを書いてればログは残りますが、果たしてそれは物語として残ってると言えるのかどうかは疑問です。
なんにせよ、物語としてログの残ったセッションと残っていないセッションとでは、明らかに残っていないセッションのほうが多いので、おおむね「TRPG口承文芸で共通」と認定してしまっていいでしょう。

3.非日常会話的な抑揚と間をもって語られる

さて、これはどうだろう。
「そんなかしこまった話し方しねぇよw普段どおり。」
うーん・・・ほんとかなあ?



もちろんお気づきの方も多いと思いますが、俺は
「非日常会話的な抑揚と間」

「ゲームシステム」
を対照させたいと思います。



行為ロールだの、ヒットポイントだの、SANチェックだの、日常会話としては使わないよね。よね?w *1
TRPGの話をするときは「対象」として話すのであって、行動を縛る「形式」として使われるわけではない。

  • 「ゲームに参加すると言う意識」
  • 「ゲームシステムによる行動の形式化」

によって、TRPGの参加者は「場」に入り込みます。
マスターが話す「言葉」は普段の日常会話と同列ではありえず、プレイヤーの「発言」も、ゲームという仕組みによって日常の言葉とは異なる働きを持ちます。


また、「語り」は「言葉」によるとは限りません。
目で語る。背中で語る。
語るという語はそもそも言葉を発するという意味ではなく、相手が受け取るという意味を含んでいます。
つまりゲーム的なマスターの裁定でゲーム上のリソースが変化し、そこからプレイヤーが何かを受け取るのならば、それは「語り」といえるんじゃないかな。


どうでしょう?
俺としては
TRPGはゲームシステムによって「非日常会話的な抑揚と間をもって語られる」と定義できる
としておきます。

4.聞き手は、語り手の語りに応じてあいづちを打ち話を承認し、次への展開を促す

聞き手にはプレイヤー、語り手にはマスターをあててしまっていいでしょう。
この対比で、ひとつ大事なことに気づきます。


TRPGってなんで「マスター」がいるんでしょう。


ゲームとしてはマスターなしで成立させる方法もあったはず。
いや、実際そんなTRPGもあるのかもしれませんが、俺の知識ではぱっとは出てきません。
もちろん実際にあったとしても、運用でそう試みていても、いま現在それはTRPGとしてはマイノリティです。
もしかしてTRPGって「マスター」と「プレイヤー」、つまり
「語り手」と「聞き手」という関係を作り上げるために、ゲームの形を借りて無意識に成立した
んじゃないかなぁ・・・。


ちょっと話がそれたけど、プレイヤーがマスターの語りを承認しないのに次へ進むようであればプレイヤーは席を立ってしまうので、「TRPG口承文芸で共通」ですね。

5.聞き手は、あいづちの代わりに哄笑や半畳を入れるなどして、話を楽しんだり、けなしたりする

「代わりに」というところがポイント。
つまり「普通に話すときはあいづち」なのに、その場では「そうではない特殊な手法で場に反応する」ということですよね。
項目3の「非日常会話的な抑揚と間をもって語られる」がマスターからの「語り」なのに対して、この項目はプレイヤーから「場」への「応答」を定義している。
項目3の定義に従えば、この項目は「TRPG口承文芸で共通」。

6.聞き手は、一方的に昔話を承るのではなくて、昔話の成立に参加している

成立・・・不思議な言葉ですよねー。
物語が言葉を発するだけでは成立しない。つまり応答によって「場」の全員と共有して、はじめて物語は成立する。
これはそういうことでしょう。
「お地蔵さん」問題のように、常にそうであれるかという問題はあるけど、それが問題視されるということも含めて「TRPG口承文芸で共通」と言えるかな。

7.語り手は聞き手の反応によって方向づけられ修正される

これは絶対そうだとは言い切れないかも。
機械的にモジュール通りのシナリオ、書いていることしか判定しないマスターもいるのかも。


だけどこの項目が「ゲーム」の特性かといえば、マスターとプレイヤーがいるゲームいないゲームがあるので、ゲームの特性ではない。
「物語」と比較してどうかといえば、小説や映画、ドラマなどメディア化されたものにはその作品単体での修正はないので、物語の特性でもない。*2


従って、TRPGという状態になってはじめて、口承文芸との共通項目として検討できる。
加えて、聞き手の反応とか関係なしに話が進むマスターには「吟遊詩人マスター」という称号が批判的に与えられる*3ので、おおむね「TRPG口承文芸で共通」と認定してしまっていいんでしょう。

結論

検証の結果、TRPGは「昔語り」に非常に類似している。
また、「昔語り」と異なる部分があったとしても、それはより上位の「口承文芸」に属する範囲と言っていいでしょう。
従って俺としては、
TRPG口承文芸の一形態」
と分類したいと思います。


みなさんはどう思いますか?



さて、次はどういう切り口にしよう。
「違い」を追いかけるか、「快感」を追いかけるか・・・

似たようなことを考えている人々その2

「RPG」と「物語」 - 夜光性歌劇

*1:俺は日常会話に使う!という痛いツッコミは却下。俺もわかる人に対しては使うけどねw

*2:もちろんシリーズ物での補正や、マーケティングによる事前の影響はある。これもそのうち比較してみたい。

*3:そういえば吟遊詩人は口承文芸の定義に沿って聞き手の反応に対応しているはずなので、この呼称は吟遊詩人に失礼だなあ