ネタがねー(正確には難産中)と夜中に苦しんでたら、id:acceleratorさんにとりあげていただいたので、感想込みでぼんやりと。
ストーリーメーカー 創作のための物語論 大塚英志 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む
神話でなぜ帰ってくる必要があるのかというと、非日常的な世界を体験した上で日常の世界を見つめることで日常の世界の重要性や自分の立ち位置が理解できるからだと本書は語っています。つまりダブルクロスにおいて”日常”のシーンで演出されるべきなのは、PCが未だその価値に気づいていない大切なものであるはずです。そのように考えるとPLやGMがするちょっとした演出こそが、PLやGMの価値観を大きく反映したものになっていることが分かります。
ダブルクロスは非常に簡単な例でしたが、シナリオに”行って帰る物語”という構造を与え、行く意味や帰る意味を考えることで初めて語るべきもの、テーマが明らかになっているのがわかってもらえたでしょうか。
物語をただ漫然と語ることでは、”私”は見えてこず、構造を当てはめて解釈することで初めて”私”が現れる。これが僕の言いたいことです。型にはまった物語にこそ、その中身に語りたいことが現れるのではないでしょうか。
構造化することで差分を顕にする、意識しやすくする手法ですね。わかります。
俺は意識しないで、正確には雛形に使った後で解体、もしくはわざと曖昧にするような手法も使うので、明示的に「物語を使う」という意識にないんだなー、と思いました。
おそらく感じているところは同じで、以前キャラクターの記号化についてこんなことを書いてたりします(主格が「キャラクター」ですが、俺の中では「物語」と「キャラクター」は同じなので)。
キーワードによるキャラクター類型化 - まりおんのらんだむと〜く+
私は『萌えとはルーン操作の芸術である。』と挑発の意も込めて書きましたが、それは表面的な現象に過ぎず、記号化できない、表現できないところにこそ、その本質があるとも思っています。
『神は細部に宿る』――侘びや寂びも同じなのですが、表現しない/できない、観測すると/批評するとその状態が変化する、ということもありますし。
グローランサ的に言えば、「ヒーロクエストは、神への敬意と最大の人間性をもって行われなくてはならない」ということでしょうかね。
そういえば、俺は昔から「お題メソッド」というのを使っていました。
- 1.プレイヤーに「お題」として本でも漫画でも映画でも、好きな物語を提示してもらう。
- 2.マスターはプレイヤーに気付かれないように、お題をセッションに反映させる。
というものです。
まあ物語の構造やモチーフをいかに隠蔽しながら使えるか、というメタゲームです。
結構これを楽しんでるマスターもいるんじゃないかな?
普通はセッション途中にわかったり、セッション後にネタばらしとして酒の席で盛り上がったりしますよね。
ただ、俺の場合は「すぐには使わない」「徹底的に隠蔽する」というルールがあって、3年後ぐらいに「アレはあのネタか!」と言われるのが大好きですw
ぼんやりぼんやり