テーブルトークセッションと礼拝

他はどうだか知りませんが、少なくともうちではセッションは「礼拝」だといえます。
信仰というのは心の問題というよりも結局は行動がすべてなので、テーブルトークという時間のかかる趣味に1日8時間(そういえばコンベとかと比べると長いかも)、それを月に1回以上というのは、かなり大きくコミットメントしていると言っていいでしょう。


人間は時間を多量に消費した行動を肯定したがります。
各プレイヤーの楽しさやコミットメントのあり方はそれぞれですが、同じ場に向けられた「それ」は、各プレイヤーの想いとは異なりながら、なお肯定の対象となる。
そして時間を使えば使っただけ、次の礼拝へと強く動機付けられる。


「大切だ」と思う心が信仰心だということかな。


反対に、仕事が忙しくなったり、他に面白そうな遊びが合ったりすると「うーん、やらなくてもいいかな」となって、コミットメントの低下するスパイラルに落ち込む。
もちろんなゆたのセッションが単に面白くないという場合もあるかもですが。



なので俺は定期的なセッション運営を非常に重視しています。
第一に長期間やってないと俺の信仰心が揺らぐので。


マスターからしてこうなのでプレイヤーは押して知るべし。
逆に間を空けずにやっているとプレイヤーの集中力は上がり、セッションはスムーズに、ドラマチックに進みます。
必然的にその後の参加意欲も上がります。
長期間放置するプレイヤーが出ないように、どうスケジュールを組むかが悩みどころ。



また、「ただひとつの世界」を維持してるがゆえに、なゆたのセッションは、多くのセッションに参加すればするほど、いろいろなプレイヤーと合えば合うほど、見えるものが増えてきます。
つまりこれは<カルト知識(なゆた)>もしくは<なゆたグローランサ伝承>です。
この技能が高いと同じセッションをしていても見えるものが違う。


そう、グローランサの《礼拝》と同じですw
平信徒と入信者、入信者と司祭では、同じ劇を見ても風景が違う。
そしてこの技能が高まったプレイヤーたちは、俺に「セッションをしろ!」と圧力をかけてくれます。


場を整える司祭もいれば、話を引っ張るロードもいる。
まれにしか来ないけど心に信仰を秘めた侍祭、他の趣味とダブルカルトの入信者、入信するまでには至らない平信徒。
いろいろなプレイヤー達に支えられて、なゆたは隔週ぐらいでマスターができているわけです。



そんな状況をセッションで体感しながら、神聖カルトと神格の相互作用に納得し、グローランサとテーブルトークの相似性を楽しむ。
そんなマスタリングをしていたりしていなかったり。