「人格は絡み合った糸の結節点モデル」を提唱してみる

まず単純化したモデル概要を書いてみる

  • 1.人格は多数の糸が複雑に絡み合った結節点。
  • 2.糸とはあらゆる事象・存在を表す(ex.時間、空間、肉体、体験、人間関係、仕事、食事、趣味、持ち物、etc...)。
  • 3.各糸は引っ張られていたり緩んでいたり、太かったり、細かったり、複数の糸のより合わせだったりする。

一人格のいろいろな事象を表現してみる

  • 4.家族が死んで悲しんだとする。これは糸の一本が切れたことで表現できる。その糸が人格の他の糸に絡まっていれば絡まっているほど、結節点の形は変化する。
  • 5.新たな経験は新たな糸として結節点に差し込まれる。差し込まれ方によって、多数の糸と絡んだり、あまりからまなかったりする。他の糸を切ってしまうこともある。
  • 6.ある糸が思いっきり張られたり、太くなったり、細くなったりすると、結節点の形は変化する。
  • 7.大ケガは「健康」という糸が傷ついたと定義することもできるし、大ケガという体験が差し込まれたと定義することもできる。一つの事象・存在は一本の糸とは限らない。

人格と世界とのかかわりを表現してみる

これまでは結節点ひとつに注目していましたが、全体を俯瞰してみましょう。

  • 8.一本の糸を辿っていくと結節点はいくつもある。多くの人格に影響のある事象・存在は結節点が多い。
  • 9.人が死んだときというのを「肉体の糸が切れた」と表現するならば、その人の死によっていくつもの結節点が形を変える。近くにいれば大きく揺れるし、遠くにいてもひどく絡まっている結節点はバラバラになるような影響を受ける。テンションのかかり方によっては切れる糸もいくつもある。
  • 10.肉体の糸が切れてもほどけない結節点もある。他の人との関係性で複雑に織り上げられていたり、作品や思想という糸を織り、ほどけにくく固めることができる。
  • 11.「糸」は複数の糸で撚られている。緊密に撚られた糸も、ただ絡み合ってるだけの糸もある。例えば従業員を貫く会社という糸は、給与や業務、同僚や得意先との関係を束ねたものと見れる。撚ってあるのか絡んでいるのかに区別はない。

人格が一意でも独立でもないことを表現してみる

  • 12.糸に複数の結節点があることもある。近ければその境目の区別はない。それぞれの結節点に繋がっている糸からは違った塊が見える。大きさが小さなものは稀にあらわれる人格と解することもできるし、ちょっと意外な側面ということかもしれない。
  • 13.肉体の糸を共有する結節点の距離が遠く、それぞれが十分に大きければ、別の人格に見える。それらは時間の糸に沿っていれば年齢による変化だろうし、同じ時間に複数あるなら多重人格だろう。いずれにしろそれらの結節点は多くの糸を共有するだろう。
  • 14.極度に多くの糸を共有した結節点は、肉体の糸が別であっても、あたかもひとつの人格のように反応する。同じ糸の震えやテンション、切断に同じように震え、形を変える。一方がほどけたならば、もう一方は自分の半分がなくなったように感じる。
  • 15.いずれにしろ撚ってあるのか絡んでいるのか、結節点なのかどうかを定義する意味はない。結節点が十分な数の糸で構成されるならば、どこからどこまでが結節点かを区別することはできない。もやっとした「塊らしきもの」が私たちが人格と呼ぶものである。視点を引けば、一つの塊は模様の一部に見える。

モデルの意義

  • このモデルは「個人」や「人格」を独立して存在するかのように語る人に、人格というのは一意でも独立でもないかもという考え方を理解してもらうことを主目的としている。
  • 人格を主眼にスタートしているが、存在として定義できるものであれば何にでも適用できる。ただ、存在は相互関係で構成されるというあたりまえのことしか主張していないので、その前提が無視されていることを覆す以外にあまり意味はない。
  • TRPGの中で、人間の心の動きをステレオタイプに処理せず、非合理的な行動を合理的な動機付けで積み上げるツールとして使用する。


あくまで私の経験を元にした仮説であり、なんの統計も学術的な裏付けもありません。
ただ私がキャラクターやシチュエーションをオブジェクトとしてマスタリングする上で非常に便利なモデルなので公開してみました。


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